丸いちゃぶ台囲んで 昭和の食卓の温もり
丸いちゃぶ台囲んで 昭和の食卓の温もり
昭和の家庭の真ん中には、多くの場合、丸いちゃぶ台がありました。それは単なる食事をするための台ではなく、家族が集まり、語らい、一日を締めくくる大切な場所だったように思います。
今のようにダイニングテーブルと椅子が一般的ではなかった時代、床に座ってちゃぶ台を囲むスタイルは、日本の暮らしに馴染んだものでした。木製の、つるりとした手触りの天板。足を折りたためるようになっていて、食事の後には部屋の隅に片付けることで、限られた空間を有効に使う工夫がなされていました。
ちゃぶ台が中心だった時間
夕方になり、家族がそれぞれの一日を終えて家に帰ってくると、ちゃぶ台の周りに自然と人が集まり始めました。お母さんが運んでくる温かいご飯と味噌汁、そしていくつかのおかず。食卓には湯気が立ち上り、食欲をそそる匂いが部屋いっぱいに広がりました。
「いただきます」の挨拶とともに、家族みんなで箸を取り、それぞれの器にご飯をよそいました。お椀と箸が触れ合う小さな音、お味噌汁をすする音。それは、静かだけれど確かな、家族が一つになる響きでした。
食事中は、学校であったこと、仕事での出来事、近所の話など、様々な会話が飛び交いました。楽しかったこと、少し困ったこと、将来の夢。時には笑い声が響き、時には真剣な顔でお互いの話に耳を傾けました。ちゃぶ台は、家族がお互いを理解し、支え合うための、温かいコミュニケーションの場だったのです。
食事だけではない、多用途なちゃぶ台
ちゃぶ台は、食事の時間以外にも大活躍しました。子供たちが宿題をする勉強机になり、お父さんが書類を広げる仕事台になり、お母さんが裁縫や内職をする作業台にもなりました。時には、家族みんなでテレビを見ながらお茶を飲んだり、お菓子を食べたりする団欒の場でもありました。
狭いながらも、この一つのちゃぶ台を中心に、家族の暮らしが営まれていたのです。折りたたみ式のちゃぶ台を畳んで壁に立てかけた後の、少し広くなった部屋で、布団を敷いて眠りについた記憶をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
消えゆく風景、残る温もり
時代が移り変わり、多くの家庭でダイニングテーブルが使われるようになりました。それに伴い、ちゃぶ台を目にすることも少なくなりました。しかし、あの丸いちゃぶ台を囲んだ温かい時間、家族の話し声、湯気の立つ食卓の風景は、私たちの心の中に懐かしい記憶としてしっかりと残っています。
ちゃぶ台は単なる家具ではありませんでした。それは、昭和という時代の中で、日本の家族が共に生き、笑い、助け合った日々の象徴だったのかもしれません。あの温もりを、時々思い出してみるのも良いものですね。