昭和ノスタルジー博物館

初めて家にやってきた白い箱 昭和の洗濯機と冷蔵庫

Tags: 昭和, 家電, 洗濯機, 冷蔵庫, 生活

昭和の暮らしと「白い箱」の訪れ

昭和の時代、私たちの家庭には、今では想像もできないような、たくさんの手仕事がありました。中でも、毎日向き合う家事の負担は大きなものでした。特に洗濯や炊事は、時間も体力も要する、骨の折れる作業だったことを覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。

そんな昭和の暮らしの中に、あるとき静かに、そして少しずつ、変化の波が訪れ始めました。その波の象徴とも言えるのが、家庭にやってきた幾つかの「白い箱」でした。それは、電気洗濯機であり、電気冷蔵庫と呼ばれる、新しい道具たちでした。

洗濯機が回し始めた新しい時間

電気洗濯機が登場する前、洗濯と言えば、大きなタライと洗濯板が欠かせませんでした。冬の冷たい水に手を浸し、ゴシゴシと力を込めて汚れを落とす作業は、まさに重労働でした。石鹸を溶かし、何度もすすぎ、絞る。一連の作業が終わる頃には、手は赤くかじかみ、腰も痛くなったものです。

そこに初めてやってきた電気洗濯機は、まさに「革命」でした。初期のものは、洗濯槽の中で羽根が回る撹拌式(かくはんしき)や、洗濯槽と脱水槽が分かれた二槽式(にそうしき)が主流でした。水を入れ、石鹸を溶かし、洗濯物を入れてスイッチを押す。あの、「ガラガラ」という独特のモーター音と共に、洗濯槽の中で洗濯物が回る様子を、飽きずに眺めていた方もいるかもしれません。

もちろん、今のように全自動ではありませんから、洗いが終われば自分で洗濯物を移し替え、脱水槽で遠心力を利用して水分を飛ばす必要がありました。脱水槽に洗濯物を均等に入れるのが難しく、蓋がガタガタと音を立てて暴れるのを、手で押さえていたという方もいらっしゃることでしょう。それでも、あの重労働だった手洗いの苦労に比べれば、雲泥の差でした。洗濯にかかる時間が大幅に短縮され、女性たちは家事労働から少し解放されることになったのです。

冷蔵庫が守った食卓の安心

食べ物の保存も、昭和の家庭では工夫が必要なことでした。電気冷蔵庫が一般的になるまでは、生鮮食品の保存は大変でした。夏場などは、魚や肉はすぐに傷んでしまうため、その日のうちに使い切るのが基本でしたし、氷屋さんから氷を買ってきて、木製の保冷箱(氷式冷蔵庫)に入れたり、井戸水を利用したりして冷やしていたものです。

電気冷蔵庫が家庭に普及し始めると、食料品の保存は劇的に楽になりました。扉を開けると広がる、ひんやりとした空気。それまですぐに食べなければならなかったものが、数日は保存できるようになり、買い物の頻度を減らすことも可能になりました。残ってしまったおかずを捨てずに済むようになったのも、冷蔵庫のおかげです。

あの、重厚な鉄製の扉を開けるときの「カチリ」という音や、庫内の電球がぽっと灯る様子を覚えている方もいらっしゃるでしょう。冷たい飲み物がいつでも飲めるようになったことや、夏場にゼリーや水羊羹を冷やして家族に出す喜びも、冷蔵庫がもたらしてくれたささやかな贅沢でした。

白い箱が変えた暮らしの風景

電気洗濯機と冷蔵庫。これらの「白い箱」は、単に家事を楽にする道具というだけではありませんでした。これらが家庭にやってきたことで、人々の時間の使い方や、暮らしそのもののリズムが変わっていったのです。家事の時間が短くなった分、他のことができるようになったり、家族と過ごす時間が増えたりした家庭もあったでしょう。

そして何より、これらの電化製品は、新しい時代の幕開けを感じさせるものでした。「豊かな暮らし」への憧れを形にしたような存在だったのかもしれません。

今では当たり前のように私たちの傍らにある家電製品ですが、昭和の時代に初めて家庭に迎え入れられた頃は、多くの家庭にとって、高価で、そして希望を運んでくる存在だったのです。あの頃の、まだ少しぎこちないけれど、確かに私たちの暮らしを変えていった白い箱たちのことを、懐かしい写真と共に、今一度思い出してみてはいかがでしょうか。