帰る場所、迎える場所 昭和の家の玄関
帰る場所、迎える場所 昭和の家の玄関
家という場所は、私たちにとって安らぎの空間であり、家族が集まる大切な場所でした。その家の「顔」とも言えるのが、玄関です。現代の玄関とは少し趣が異なり、昭和の家には独特の温もりや風景がありました。
当時の玄関は、多くの場合、地面よりも一段低い「三和土(たたき)」と呼ばれる空間があり、そこで靴を脱ぎ、上がりに備えました。この三和土の、夏はひんやり、冬は底冷えする独特の感触を覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。土間のような役割も果たし、外仕事から帰ってきた家族が、ちょっとした道具を置いたり、埃を払ったりする場所でもありました。靴を脱いだ後は、板張りの廊下や畳敷きの上がりに上がります。靴下のまま上がると、木の温かさや畳の肌触りが心地よかったものです。
玄関の片隅には、たいてい木製の下駄箱が置かれていました。観音開きの扉を開けると、家族それぞれの靴がきちんと並べられています。革靴の匂い、運動靴の匂い、そして時々、誰かの靴下や下駄箱自体の木の匂いが混じり合って、あの独特の香りが生まれていました。特に雨の日には、濡れた靴から立ち上る湿った匂いが印象に残っています。
多くの家庭の玄関には、壁に姿見の鏡がかけられていました。出かける前に身だしなみを整えたり、帰ってきてほっと一息つく前に顔を見たり。この鏡は、家族の「いってきます」と「ただいま」を見守る静かな証人のようでした。鏡の下には小さな台が置かれ、そこに黒電話がちょこんと乗っている家も少なくありませんでした。チリンチリンと鳴る電話の音は、玄関から家中に響き渡り、家族の誰かが慌てて受話器を取る光景も、昭和の日常でした。
玄関は、家族だけでなく、お客様をお迎えする場所でもありました。ピンポーンという呼び鈴ではなく、玄関の引き戸をガラガラと開けて「ごめんください」と声をかけたり、来客を知らせる小さな鐘を鳴らしたり。お客様が上がり框に座り、家族が慌てて座布団を出したり、お茶の準備をしたりする様子も、温かい思い出として蘇ります。子供たちは、友達が玄関先まで迎えに来て、遊びに行く約束をしたり、遊んだ後に「また明日ね」と別れの挨拶を交わしたりしました。
季節によって、玄関の様子も少しずつ変わりました。お正月には門松や鏡餅が飾られ、雛祭りの時期には小さな雛人形が飾られることもありました。夏には涼しげな暖簾がかかったり、風鈴の音が聞こえたり。玄関は、その家の暮らしぶりや季節感を映し出す場所でもあったのです。
夜になり、外が暗くなると、玄関の明かりがぽつりと灯ります。それは、遅くなった家族の帰りを待つ温かい光であり、外から見た家が「ただいま」と迎え入れてくれる合図のようでした。
昭和の家の玄関は、単なる出入り口ではありませんでした。そこには、家族の挨拶が交わされ、来客との温かい交流が生まれ、日々の暮らしが息づいていました。三和土の感触、下駄箱の匂い、電話の音、家族やお客様の声。それらは、今の私たちにとって、忘れられない大切な記憶の一部として、心の中に深く刻まれています。