昭和ノスタルジー博物館

アルマイト食器の響きと脱脂粉乳の記憶 昭和の給食

Tags: 昭和, 給食, 小学校, 食文化, 思い出

アルマイト食器の響きと脱脂粉乳の記憶 昭和の給食

学校生活の中でも、給食の時間は特別な楽しみであり、また少しばかりの苦手意識を伴うひとときでもありました。教室に漂う独特の匂い、アルマイト製の食器が触れ合う金属音、そして決して忘れられない味。昭和の小学校に通われた方なら、きっと鮮明に思い出される光景ではないでしょうか。

教室に運ばれてきた白い箱

給食は、多くの場合、大きな木の箱や金属の保温箱に入れられて教室まで運ばれてきました。当番の子たちが力を合わせてそれを机の上に載せ、中から次々と現れるのは、あの懐かしいアルマイト製の食器です。お皿、お椀、牛乳用のコップ。触れるとひんやりとして、落とすとカンカンと高い音が響く。洗う時も、キュッキュッという独特の手触りがありました。

そして、給食といえば、やはり脱脂粉乳を語らずにはいられません。紙パックや瓶牛乳が主流となった今では考えられませんが、あの頃は大きなやかんに温められたり、粉のまま配られたりした地域もあったと聞きます。あの独特の風味に、顔をしかめた子供も少なくなかったかもしれません。それでも、育ち盛りの私たちにとっては、大切な栄養源であり、毎日必ず飲むものでした。

コッペパンと献立の思い出

主食は、ふっくらとしたコッペパンが定番でした。何もつけずにそのまま食べたり、マーガリンやジャムを塗ったり。時には、カレーやシチューといったおかずと一緒に頬張ることもありました。献立は、地域や時代によって様々ですが、鯨肉の竜田揚げやソフト麺など、今ではあまり見かけないものもありました。苦手なものが出ると、どうにかして残さず食べるか、こっそり友達にあげるか、真剣に悩んだ記憶がある方もいるのではないでしょうか。

みんなで協力した配膳の時間

給食の時間は、食べるだけでなく、協力し合う時間でもありました。給食当番は、白衣と帽子を身につけ、マスクをして、配膳台に並びます。重い食缶を運んだり、おかずをよそったり、パンや牛乳を配ったり。みんながスムーズに給食を食べられるように、力を合わせて働きました。時には、おかずの量が均等にならずに喧嘩になったり、パンを落としてしまったりといった小さなハプセルもありましたが、それもまた、学校生活の一コマとして、今となっては懐かしい思い出です。

給食が教えてくれたこと

昭和の給食は、単にお腹を満たすだけの時間ではありませんでした。好き嫌いと向き合うこと、残さず食べる大切さ、みんなで協力すること、そして、食卓を共にする温かさ。多くのことを私たちに教えてくれたように思います。クラスメイトと机を寄せ合い、同じものを食べる。その中から生まれる一体感や友情も、給食という時間が育んでくれた大切な宝物です。

時代は移り、給食の献立やスタイルは変わりましたが、あの頃の給食の味や匂い、そして仲間と囲んだ時間は、私たちの心のアルバムに、色褪せることなく残り続けています。アルマイト食器の響きを聞くたびに、あの頃の教室の賑わいが蘇ってくる。そんな、昭和の給食の記憶に、しばし浸ってみてはいかがでしょうか。