昭和ノスタルジー博物館

チリンチリンと響いた声 昭和の竿竹屋と街角の風景

Tags: 竿竹屋, 物売り, 昭和, 街角, 生活, 音, 風景, 記憶

街角に響いた懐かしい音

昭和の時代、私たちの暮らす街には、様々な音が満ちていました。朝早くから響く豆腐屋さんのラッパの音、夕暮れ時に始まる焼き芋屋さんの「石焼き芋〜」という声、そして、特定の季節になると聞こえてきた金魚売りの口上。それぞれの音や声が、時間や季節の移り変わりを知らせてくれる、大切なサインでした。

そんな数ある街の音の中でも、多くの人の記憶に残っているのが、「チリンチリン」という独特の鐘の音や、時にラッパの音に続いて聞こえてきた、「さおや〜、さおだけ〜」という少し鼻にかかったような、あるいは朗々とした呼び声ではないでしょうか。そう、それは、物干し竿を売り歩く「竿竹屋さん」がやってきた合図でした。

物干し竿を担いだ姿

竿竹屋さんの姿もまた、昭和の街角を彩る風景の一部でした。多くの場合、自転車の後部に、長く伸びた数本の竿を積んで走っていました。竹製の竿もあれば、アルミや鉄パイプのものもありました。時に、肩に何本もの竿を担いで歩く姿も見かけられました。

その呼び声は、遠くからでもよく響き、家の中にいても「あ、竿竹屋さんだ」とすぐに分かりました。用事があれば、家の者が出て行って声をかけます。値段交渉をしたり、古い竿と新しい竿を交換してもらったり。物干し竿は日常生活に欠かせないものでしたが、頻繁に買い替えるものでもないため、いざ必要になった時に、こうして家まで来てくれる竿竹屋さんは、ありがたい存在でした。

消えゆく商いの形

なぜ、竿竹屋さんは自転車や徒歩で売り歩いていたのでしょうか。それは、当時まだ大型量販店が少なく、生活用品を専門に扱う小さな金物屋さんなどはあっても、物干し竿のような長尺物を気軽に運んで売る仕組みが少なかったからかもしれません。また、竹製の竿は割れたり傷んだりすることもあり、交換の需要も常にありました。そうした背景の中で、竿竹屋さんは文字通り一軒一軒を回り、必要な人へ直接届けるという、地域に根差した商いをされていたのです。

竿竹屋さんだけでなく、氷屋さん、羅宇屋さん(喫煙パイプの掃除や修理をする人)、金魚売り、あるいはちり紙交換など、昭和の街には様々な行商人たちがいました。彼らは単に物を売るだけでなく、街に活気をもたらし、住民にとってはちょっとした世間話ができる相手でもありました。彼らが運んでくる品物や声、姿は、当時の暮らしのリズムや、人々の温かい交流の一部だったのです。

思い出の中の街角

高度成長期を経て、人々の暮らしは豊かになり、大型スーパーやホームセンターが各地にできました。物干し竿も、そうしたお店でいつでも手軽に買えるようになり、竿竹屋さんの姿は次第に街角から消えていきました。

今では、あの「チリンチリン」という音や、「さおや〜」という呼び声を聞く機会はほとんどありません。しかし、時折、ふとあの頃の街角の風景を思い出すことがあります。自転車にたくさんの竿を積んで、ゆっくりと坂道を上ってくる竿竹屋さんの姿。そして、どこか遠くから聞こえてくる、あの独特の音と声。それは、便利さとは違う、人情味あふれる昭和という時代の温かい記憶として、私たちの心の中に確かに残っているのではないでしょうか。